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VERCICOLOR

米澤民藝館

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新幹線

吉田手織教室の皆さんと、米沢に織元探訪の遠足にでかけました。
東京駅から山形新幹線「つばさ」に乗って。
写真は秋田新幹線。緑にあきたこまちをイメージしたピンクのライン。
東に行く新幹線は緑のライン。つばさも緑のラインでした。

古代織

米沢に着くと、近藤夫妻が出迎えてくださいました。
最初に向かったのが米澤民藝館。
こちらには原始布や古代織の資料が展示してあります。
撮影禁止だったので内部の写真は無し。

建物の一部には昔の織り場が使われていました。
そこだけ天井が低くなっているのですが、昔は蔵が織り場になっていたそうです。
それだけ大切にされていたということ。
しかし、機械が導入されると低い天井では入らなくなり、蔵も使われなくなっていったそうです。

江戸時代に上杉鷹山が絹織物の生産を盛んにする政策をとってから絹がつかわれるようになったものの、実際に絹を使えるのは一部のお金持ち。
庶民には木綿ですらたいへん贅沢なもの。
原始布と呼ばれる布を使用してしたそうです。
・しな布・藤布・楮(こうぞ)布・葛布・麻布・イラクサ布・からむし布が原始布と呼ばれるもの。
植物の繊維を裂いて、手で撚りをかけながら績んで糸にして、織っていきます。
有名なものでは越後上布や宮古上布、芭蕉布など。

木綿の古着がやっと手に入ったら、薄くなったそれらを重ね合わせて縫って厚みを出したのが刺し子。
藍の布が白く見えるほど、白い糸でびっしり縫われた半纏などがありました。
縫い目で模様を出すような刺し子は本来の意味ではなかったそうで、
染めの模様に憧れて、縫い目で模様を表したのが始まりだったとか。
厳寒の地でいかに暖かく過ごすかの工夫が様々な手工芸を生んだのかと思うと、その厳しさから生まれた手わざに圧倒されます。

また、古代の織り機も多数展示されており、昔も今も原理は変わらないのだと感心。
「はたくさ」の語源がわかるような、木枝を布の間にはさんでいく様子も見ることができました。
綜絖の糸を通す穴に貝を使っているなど、細かい工夫がなされていたことにも驚き。

こんな宝の山のような民藝館に名残を惜しんで、次の見学地に向かいます。

lapislazuli

着物・染織・歌舞伎・音楽・茶道・美味しいもの・・・時々ドラマ

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